コラム―散歩道

トチノキ・モチの木・勇気の木

トチノミは「食う」実

 9月の連休に飯綱高原に遊びにいきました。飯綱は自宅から30分、森林浴と温泉が目的です。高原は秋の実りでした。
 ここでやった遊びが「トチノミ割り」、手の中に入るほどの実を思い切り地面にぶつけると、皮が割れ、楕円形の大きな実が飛び出し転がってゆく。良く見張ってないと落ち葉の地面に同化してわからなくなる。それを探すという単純なゲームだが、夫の投げた実を捜して、娘も私も夢中になってしまいました。
 それにしても見るからに食べたくなる実、栗に良く似ており、つやもよい。でもサポニンなどの毒性が強く、アク抜きには大変手がかかる代物です。それにもかかわらず、縄文時代から食されていたのです。
 雑木林にはどこにでもある珍しくない木で、実は大きく量がある。飢饉に備えての保存食として目をつけられて当然でしょう。トチノキの学名はAesculus、ラテン語で「食う」の意味だそうです。なるほど。間伐の時は、トチノキは切らずに残したものだそうです。

南木曽のトチモチ

 参議院選挙で南木曾町に入った時、宿泊した妻籠の民宿の夕飯で出たのが、つきたてのトチモチでした。これがメチャクチャおいしかった。今まで「そう感動する食べ物ではない」と思っていた価値観が、見事にひっくり返りました。
 あまりのおいしさに、民宿のおじいちゃん、おばあちゃんと炉端で車座になって、自慢のトチモチを作るまでのご苦労話しをせがんだものです。
 実の採取からあく抜き保存まで「どこにも負けないくらい、手をかけている」話しが、いっそう餅のありがたさが増しました。
 この話をした時、末娘が「以前住んでいた鶴岡では、どこでもトチモチを売っていたよ」と。そう、鶴岡の朝日連峰の麓の地方ではトチモチが名産品になっています。テレビで報道されてから有名になったらしく、名物案内書には「国内随一といえる代々伝わる秘伝のあく抜き・・ここからは企業秘密」とも書いてありました。
 このあく抜きがおいしさの「秘訣」のようですが、方法は基本的には今でも灰汁や水を使った昔ながらの方法、昔の人はどうやってこの方法を見つけたのでしょうか?暮らしの知恵の発見にあらためて感服します。

台所のトチノキ

 さて私は、台所でトチノキに大変お世話になっています。まず大きなこね鉢がトチノキのくり抜きです。栄村の秋山郷で求めました。女性後援会の行事で出かけたときのこと、もう、20数年前です。
 少々お高かかったけど、記念にと買ったこね鉢は、その後台所で大活躍しています。そばやうどんを打つ腕はないので、混ぜ寿司や和え物などに使っています。
 このとき、休息した宿に栄村の議員さんが挨拶に見えました。その人が長きにわたり高橋民主村政を支え、今年勇退された広瀬進議員だったのです。真っ白な頭髪の美しさに感動して見とれた、初めての出会いでした。
 その後、私の選挙ではもちろん、個人的にもどれだけお世話になる人となったか、当時は想像すらできないことでした。こね鉢を見ると広瀬さんとの出会いが思い出されます。
 まな板がまた、トチノキです。「まな板は国産の木材で」これが私のポリシーで、大工さんに作ってもらっています。一番大きなまな板はイチョウ、次にヒノキ、並んでトチノキと5枚もあります。
 真ん中がへこむと、大工さんにカンナで削ってもらいます。トチノキのはもう24年間も使い、なんと、3・5センチあった厚さが今では1センチになってしまいました。薄くなったので新しいまな板を用意したのに、捨てられずになおも持っているので、まな板がふえてゆく・・・・。
 普通量販店などで売っているまな板は、大概は外材です。野菜も肉も魚も、まな板までも輸入品に犯されてしまっているなんて。

「モチモチの木」

 トチノキは絵本でも活躍です。
 子どもたちが大好きな絵本「モチモチの木」(文・斉藤隆介、絵・滝平二郎)の木は、秋には「ほっぺたが落ちそうになるモチ」をくれるトチノキです。
 モチモチの木は、臆病な豆太を見守っているようです。大豆が大好きなじさまのために勇気をふり絞ったとき「モチモチの木に火がついたあ」。
 あのパーッと鮮やかで美しいページをめくったとき、子どもの引き込まれていくまなざしが楽しみで、何度でも読んであげた本です。
 切り絵作者の滝平二郎さんは、今年の5月16日に亡くなられました。でも、「モチモチの木」は、いつまでも子どもたちにやさしさと勇気と自信を持たせてくれています。
 だってオバケのようなモチモチの木に負けずに、勇気を出して一人でお医者様を呼びに行った豆太は、じさまが元気になると、また弱虫に戻ってしまうのだから本当に安心します。
 大きなトチノキをみたら、子どもたちは豆太を思い出して「ぼくだって」とほっとするのではないでしょうか。そう、誰だって、本当は勇気があるんだから、大丈夫!!

                      (2009年 10月6日  記)